平日よく記事をチェックさせて頂いている、Grow Rich Slowlyさんのとこで『「強くてニューゲーム」は楽だけど面白くない』という記事がありました。
努力を積んで来られて、公認会計士になられて、一般企業へ転職された方です。
非常にタメになる記事をUPされており、貸借対照表管理方法等参考にさせて頂いています。
最近都内分譲不動産を購入された(手付)そうで、我が事のように「おめでとうございます」と祝意を述べさせて下さい。
記事も努力型な方が、書かれた良記事で、思わず頷いてしまいました。
ただ、ブログ主みたいな努力成功型であればいいのですが、みんな努力成功型ではいられません。
成功者の影に多くの失敗者がいるというのは、よく聞く話です。
失敗話を笑って話せればいいのでしょうが、中々失敗者は口が固くなりがち。
『強くてニューゲームは善も悪もないが、どうせなら強い方がいい』という人も一定数いるだろうなという話です。
元記事内容
要約すると、親がお金持ちであれば、強くてニューゲームできるけど、自分の才覚でドラクエのように一からレベルアップしていく方が楽しいよねという内容(間違っていたごめんなさい)でした。
昨今、親ガチャなる言葉が流行っています。
親ガチャの大当たりを引いて無双するよりも、ほどほどを引いて成長して無双する。
どちらの方が楽しいかと問われれば、後者でしょう。
後者の方が健全な資本主義社会の形ですね。
お金を『守る』という観点からも、一度お金に0ベースで付き合えた方が最終的には良い事も分かっています。
ただ、、みんながみんな成長して無双できるかと問われると、疑問に感じました。
一定数の失敗者になった場合どうするか
結果が努力に比例する世の中ならいいのですが、一部反比例するのも世の中
どう考えても成功間違いなし+精一杯の努力を投下したプロジェクトであっても、時世や運よりダメな時はダメ。
日本という国は、成功者には寛容なのですが、失敗者には風当たりが強い国は変わっていません。
チャレンジを阻害すると、安定低成長路線しか進めなくなるのですが、過去20年の日本が物語っています。
もう少し失敗に寛容であればとは考えますが、現状の世の中がそうである以上、それに合わせて生活していくしかありません。
そう考えると、ある一定の余裕資産を持ってニューゲームを初めた方が、現在の状況では良い面の方が多いのかなと感じました。
強くてニューゲームは善も悪もないが、どうせなら強い方がいい
レベル1からレベルアップして、無双する。
誰もが憧れますし、やりたいと願います。元記事読んでいて、素直に共感しました。
ただ、誰もがZOZOの前澤さんみたいになれるワケでもなく、その大分手前の一定の資産家という方々にもなるのは難しくなっています。
よっぽどイメージを持ってる方以外は、ニューゲームは強い方がいいかな。
「海賊王に俺はなる!」とは、とても言えないひ弱な一市民の感想です。
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