2016/10/03

【切迫早産入院記】30週で生まれてきた我が子

何年経っても自分の中で消化しきれない出来事ってありますか?

私はあります。3年以上経過しているのですが、いまだ引きずっている思い出です。娘出生時の話です。タイトルで分かると思いますが、娘は早産で生まれました。

早産は、正期産(妊娠37週0日~妊娠41週6日まで)以前の出生をいいます。日本では妊娠22週0日~妊娠36週6日までの出産を早産と呼びます。

丁度娘は30週でこの世に生まれました。切迫早産→早産という経過を辿りました。書いている現在は冷静ですが、当時の気持ちに戻ると後悔の連続です。

次があった場合、後悔しないためにも一度気持ちの整理をしたいという事も兼ねて、今回記事にしてみました。同じような境遇になりつつあるご婦人のみなさんに旦那目線ですが、お役にたてれば幸いです。

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妊娠3ヶ月目:妊娠発覚

妊娠発覚した時って嬉しいんですが、大変でした。何が大変かって?発覚してすぐにツワリの初期症状が出てきました。嘘みたいなホントの話です。

妊娠検査薬で分かった途端、いきなりトイレに駆け込んでいました。何事!?と見に行ったら便器にしがみついて戻していました。

この状態なると、妻の背中を擦るくらいしかできないのが男の悲しい所です。大体ここから2ヶ月程度だったと記憶していますが、毎日職場・家所構わずツワリ症状が出ていたみたいです。

戻し過ぎで顔の血管浮き出るくらいになっていて、何もできない自分に腹がたちながら、妻には申し訳ない気分になっていました。 

妊娠4~5.5ヶ月目:安定期

安定期に入りだすと、大分ツワリも軽減されたみたいで大分楽そうに見えました。見た目も少しお腹が出てきて、妊婦さんの体型になりつつありました。

私も父親になる気分が芽生えだした頃です。こっから順調にいってくれるんだろうなぁと期待していましたが、『そうは問屋が卸さない』です。

色々な原因があったのでしょうが、お腹が張りだし始めました。医学用語的には子宮収縮と言うそうなのですが、妻の場合頻繁に起こっていました。

私も心配はしていたのですが、妻の「大丈夫」という一言に甘えがあったんでしょうね。あまり深刻に考えず、旅行や各種行事といったものに妻を連れ回していました。

ある晩のことです。「今日もお腹が張ってるねぇ」と妻を心配しながら就寝しました。暫くして妻がトイレに行く気配がしたので、心配になって起きてトイレの扉をノックしてみました。

扉が開くと妻が顔面蒼白な顔で「出血した。大量に・・・」と泣きそうな声で私に話しかけてきました。中を見ると確かに大量出血の後でした。

妻の心配・赤ちゃんの心配・自分への後悔・・・グルグルどうしよう?どうしよう?と一瞬考えましたが、まずは産婦人科に連絡しました。

パニックになりながら連絡したのですが、出血が止まったこと・お腹の痛み等がないことを伝えると明日朝一で来て欲しいと電話を切られました。

切られた直後妻も私も『え!マジで?朝まで家でいていいの?』と心配になりました。そこから妻は横になりましたが、私は気が気ではなく寝ずの番をしていました。

翌朝、かかりつけの病院に行ってエコー等を撮ってもらい、赤ちゃん自体は大丈夫だけど少し入院しようと即入院です。まさか即入院と思っていなかったので、会社への連絡・入院時の衣服の準備等でバタバタ・・・妻が元気そうだったのが唯一の救いといった状況でした。 

妊娠5.5~6.5ヶ月目:入院そして転院

そんなこんなで妻の入院生活が始まったのですが、妻の実家近くの病院のため平日仕事の私は休日にしか行けない状況。

1週間程度入院すれば帰ってくるさと気楽にプチ独身貴族を満喫していたのですが、1週間が2週間そして3週間と徐々に入院期間が伸びていきました。入院前に出血していましたが、まだこの時点では非常に楽観視していました。

病院で点滴(ウテメリンという子宮収縮防止薬)してもらっているし、24時間体制で個人産婦人科特有の美味しい食事も食べられているし至れり尽くせりだなぁ程度です。

この時点ではこんなものです。甘いです。角砂糖のような甘さでした。この時点でどうこうできる訳ではないのですが、考えが甘いというか大変な状況になっているという認識の欠如ですね。結果論ですが、もう少し早く病院入院させとけばと最近でも後悔しています。

入院も3週目を迎える頃、私の携帯に妻から電話が掛かってきました。お腹の張りが収まらないので、大きい病院に転院することになったという件を手短に伝えられました。転院も急遽決まったみたいで、声は元気そうでしたが不安混じりでした。

平日+どうしても外せない用があったので、妻の両親に転院手続きを取ってもらいました。救急車で転院と聞かされてビックリしたのですが、後から考えると当然の措置でした。 

妊娠5.5~7.3ヶ月目:転院そして出産間際

静脈点滴

休日転院先に行ってみると某大学病院でした。結構老朽化が激しかったのですが、NICU(新生児集中治療管理室)も完備している病院でした。このNICU完備の病院数が絶対的に不足している状況なのですが、たまたま運良くそこの産婦人科に転院手続きが取れました。

そこからは絶対安静の日々です。24時間ウテメリン点滴+マグセント(ウテメリンの強化版と考えてもらえばOK 副作用大)・面会室で面会する以外は、ジッと病室のベッドで絶対安静。そこまでは良かったんですが、面会の時間も徐々に減っていき、出産間際には面会謝絶状態・・・

出産1週間前に私だけ面会可能ということで、マグセントの影響か妻は行ってみたら肩で息している状態です。あまりシンドイとか言わないのですが、見た目からしてかなりキツそうでした。見守るしかできない無力感に苛まれていた時に、担当医がやってきました。

妻は意識朦朧状態なので、代わりに私が受け答えしました。

たろ「妻がお世話になっています。どのような状況なんでしょうか?」

担当医「現状は29週目です。ウテメリン・マグセントと出産抑制剤を投与していますが、母体の方の影響も考えると生産期(36週、37週、38週、39週)迄は難しいです。こちらとしても限界迄頑張りますが、ステロイド注射(肺の成熟促進)も併せて行う予定です

たろ「ステロイド・・・妻の体に影響はないんですか?」

担当医「もちろん影響は無いとは言えないのですが、お子さんの成育状況を考えるとステロイド投与した方がいいです。」

私が答えに窮していると隣から妻がか細い声で「お願いします。子供を助けてあげて下さい」と自分がシンドイのに我が子を守ろうとする母親・・・結婚当初から頭があがらない私ですが、これには胸を打たれました。

妊娠7.5ヶ月目:出産そして・・・

ウテメリン・セグメント・ステロイド併用で1週間程度経った日です。その日がやってきました。忘れもしない30週目出産の日です。

その日は休日ということもあって、朝から病院へ妻の様子を見にきていました。妻は1週間前も大丈夫かな?っていうくらいの状態だったのですが、当日はベッドで意識朦朧で何とか1日でも我が子を体内に留めておこうとするのに精一杯な状態でした。

1日前に妻の両親から母体が持たいないので、薬剤を止めると医師から告げられていたのを聞いていたので、妻は気力だけで我が子を繋ぎ止めている状態でした。

軽い陣痛が頻繁にきていたみたいで、私のやれることと言えば妻の背中を擦るくらいしかできない無能っぷりです。

暫くすると本格的な痛みが来たみたいで、途中から擦るんじゃなくてもっと強く揉んで欲しいと怒鳴られて、汗だくになって腰を押し込んでいました。尋常じゃない痛みみたいで、ナースコールで看護士さんを呼んだらすぐに分娩台へと連れていかれました。

当初私は立会いする予定はなかったのですが、こんな状態の妻を放おってはおけず、一緒に立会い出産を経験することになりました。ここまで来ると私はもう祈るだけです。ただ1点『母子共に健康に生まれて欲しい』だけです。

ここ迄妻にかなりの負荷がかかっていたので、分娩台乗って30もかからないスピード出産でした。めでたしめでたしで終わればいいのですが、我が家はここからが文字通りの本格的な戦いでした。

生まれてきた我が子は、1,500g以下の低出生体重児と呼ばれるカテゴリーに属していました。初産ということを差し引いても出てきた我が子を見て、非常に小さいと感じました。

30週目での出産ということで頭では理解しているつもりでしたが、実際の我が子を見るとホントにホントに小さな子でした。そんな子が普通の新生児室に行けるわけもなく、すぐNICU(新生児集中治療管理室)へ入院です。

最悪な状況ですが、唯一幸運だったのがNICUの保育器が1台だけ空きがあったという点です。最近は低出生体重児等の異常分娩児が増えているみたいで、いつも満床状態らしいです。

最悪遠くのNICU設置病院へ小さな我が子を救急車に乗せて転院しないとダメな状況だったので、九死に一生というか本田圭佑ばりの『持っている』感を我が子に感じました。

妻と出産後すぐに離されて、次に私が子供と会ったのは保育器の中に入って多数のチューブに繋がった我が子でした。これ実際体験した人しか分からないかもしれませんが、心臓を鷲掴みにされた気分です。

抱っこもできず見守るしかない・・・チューブ痛くないかな?とか考えていると自然と涙が出てきました。周りに看護師さんが多数いる状況で、泣いてばかりいるわけにもいかず医師に現在の状況を説明してもらいました。

  • 2~3日が何かある可能性がは捨てきれない。注意深く見守る
  • 黄疸が出ているが、普通は自然に治る
  • 肺機能は形成済
  • 母親は1週間程度で退院予定。子供の方は未定。

この中で一番気になったのは1番目の2~3日間で何かある可能性です。最悪のイメージもしました、生涯呼吸器に繋がったままといった悪いイメージもしました。

まさか我が子がこうなるなんて思ってもいないので、頭では理解しているつもりでも理解できてなかったかもしれません。保育器に我が子だけ残していくのは気が引けたのですが、NICUの面会時間も過ぎていたのと妻の方にも報告する必要があったので、病室へ向かいました。

ここですよ!私が生涯ベスト3に入るくらい悩んだ場面です。妻に正直に言うか、体調を気遣ってオブラートに話すか非常に迷いました。私は後者を選択しました。

病室に行くと妻の第一声は案の定我が子の様子伺いです。妻の前で芝居なんてしたことなかったので、内心ドキドキもんでしたが努めて明るく嘘は言わず楽観的に我が子の様子を伝えました。後でバレた時に怒鳴られるだろうなぁと思いつつです。

不承不承納得してもらって、その日は一度帰りました。娘の容態ですが、運があったのか順調に推移してお陰様で3ヶ月後には退院となりました。退院する頃には季節が変わっていました。

妻が初対面した我が子を見て泣き崩れた話(怒鳴られました)や子供が退院する3ヶ月間妻が毎日病院へ授乳のため日参していた話とかもあるのですが、終わり良ければ全て良し!で済ませたいと思います。

最後に産んでくれた妻に感謝と精一杯頑張って成長してくれた娘へ感謝をして終わります。

ありがとう!

>早産の気配がある妊婦さんとその旦那さんへ

妊婦さんはお子さん心配だと思われますが、心配し過ぎないで下さい。万一低出生体重児で生まれても、私達の子供のように元気に飛び回っている子供が一杯います。

今の医学技術は一昔前と比べても非常に発達しています。心配は産んでから、いつだってできます。旦那さんは楽観的に接してあげて下さい。あなたが不安がると奥さんやお腹の中にいる子供にも不安が広がりますよ。

参考2度目の切迫早産体験

参考小さい子供の熱性けいれん体験

おしまい

 

著者:たろ

Twitterアカウント(@tarohibi) 妻・娘と仲良く暮らしている30代中盤のイクメンサラリーマン。投資・子育て・書評を中心に書いています。 10年で投資資産1000万・書評年48冊・家計のスリム化を目標に奮闘中…プロフィール詳細はこちら

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